10月31日
Facebookで友人の訃報を知る。
その友人は20代社会人になってできた数少ない異性の友人で、mixiの同い年のコミュニティで集まってた中の1人だ。
そのコミュニティで知り合った人とはうっすら繋がってる人は何人かいるが、大阪を離れてからもあってたのはその彼女を含めて3人ぐらいしかいない。
その彼女のことをHさんと呼ぶ。いつも赤色フレームのメガネをかけていた。
Hさんは、当然ながら同い年だったが知り合った時はまだ学生だった。病を患ってることもあり、卒業が遅くなってたようだ。
しばらくして卒業したようで、飲み会などにたまにくる感じだったが、まあまあ色んな話をしたと思うし、男女が集まるコミュニティなので色々と他の人たちの関係がぐちゃっとなっていったが、その中でHさんとはたまに「めんどくさいね」って話をしていた記憶がある。
彼女は、会った時に私を「あよー」って呼んでくれていた。他の人は「アヨハタさん」「アヨさん」って呼んでいたが、親しげな感じで呼んでくれていた。
Hさんは、私が通っていた心斎橋のバーにも何度かきたことがあった。よく一緒につるんでいたNさんと何度か飲んだ記憶がある。Nさんも同い年のコミュニティで知り合った友人でデザイナーをしている。
SNSでのいいねをするぐらいの交流が数年続いてた。
8年前にきっかけは忘れたが、帰阪の際に声をかけてHさん、Nさん、もう1名仲が良かったやつと4人で飲んだ。たぶん、それがあったのが最後だと思う。
でも、たしかその後、Hさんは仕事で大阪の有名な書店店長さんを繋いでくれた。以前働いていた会社のノベルティを配りたいので、それを置ける書店さんを探していた。その時のお礼をちゃんと言えてない。
しばらくして、Hさんは癌で入院しているとFacebookに投稿した。コロナ禍だったこともあり、大阪に帰るとしても面会は難しいと思って、投稿をみて動向を見ていた。
今年、大阪に帰るタイミングがあり、その時にお見舞いに行っていいか声をかけようか悩んだ。その時声をかけて言えればとずっと後悔をしている。
訃報を見かけた時に、すぐにNさんにメッセージを送った。彼も、数年会ってなかったのでとても後悔していた。
Hさんともう繋がりがないが、縁があった人何人かに訃報を伝えた。しかし、もう20年近くあってないので若干微妙な返事が来たので、そこで伝えることをやめた。
それが冷たいとは思わないし、そんなに印象がないとか、あってない人の話を言われても、いろいろと理由はあるだろう。だから仕方ないんだと思う。
人に対しての気持ちは人それぞれだから。
だから、最初にNさんと後悔や辛さについて共有できたのは自分にとっては救いだった。
Hさんは、癌の闘病前から作家になりたく、学校に通いサークルにも参加して執筆活動をしていた。その話はSNSごしに聞いていたし、その件があったから前段の書店さんとの繋がりもあったようだ。
もう少し、彼女の活動に興味を持っていたらまた関係性や後悔が変わってたのかもしれない、とまたもや後悔した。
訃報は、妹さんが代理で投稿されていた。
すでに葬儀も近親者で済ませていて、お別れをいうタイミングもない。
とても寂しい別れだった。
大阪に帰った時、Nさんを誘ってHさんの話でもしたいと思う。