鳥山明先生
唐突にその訃報はやってきた。
すでに周知されていますが、鳥山明先生が亡くなられていたようです。
そのニュースを聞いた時、たぶんこれまでにないショックが押し寄せた。
Dr.スランプ、ドラゴンボールと小さい時に触れていたこともあり、それら作品が当たり前に毎週触れるということが当たり前だった。
今や、ドランゴボールは世界的なコンテンツとなっている。でも、自分にとっては小さい頃当たり前のように毎週触れていた作品だ。
子供の頃、毎週のように母親が勤務先から週刊少年ジャンプをもらってきていた。
だいたい木曜日に家が来ていた。小さい頃、別にジャンプの話題とかすることもなかったので、別に遅れてるという経験もしなかった。
毎週読むジャンプの中で、やはりドラゴンボールにはワクワクした。
アニメで、アラレちゃんは見ていた。面白かった。あのポットの形をした喫茶店が好きだった、おもちゃを持っていたことをふと思い出した。
ドラゴンボールも毎週水曜日7時、用事がない限り見ていた。Zも見ていた、原作に追いつかなように調整しながらやっていたので、間延びしているのもわかっていたが、原作を読んでいたので展開はしっているが、ワクワクした。GTも最初のほうと、後半は見ていた。最終回の展開に大泣きした。
ゲームもたくさんやった。ファミコン版のドラゴンボールはコンセプトがよくわからなかったが、とにかく周りもやっていたし、なんだかんだいってドラゴンボールの初期世界観がうまく落とし込まれてる作品だと思う。SFCの格闘ゲームは名作だと思う、当時ゲームデザイナーを目指していた自分は舞空術をどう表現するのか気になっていたが、完全に再現されバトルができたので感動した、格闘ゲームなので弟をボコボコにしていた。
訃報を聞いて、その日はあまり仕事が手につかなかった。悲しかったから。
Huluで配信があったので、OPを見ていた。
初代のオープニング曲「魔訶不思議アドベンチャー!」は名曲だ。いや、すべての曲は名曲である。敵が変わるごとに映像もかわるところにワクワクした。
「ロマンティックをあげるよ」は、どこか懐かしさがある曲だと思う。あのブルマが話の感じと違ってかわいくて、当時の男子の大半はあの曲とブルマに恋をしていたと思う。
Zは「CHA-LA HEAD-CHA-LA」はまさにドラゴンボールZへの期待が凝縮された一曲である。とけた北極(こおり)の中に恐竜がいたらーというフレーズの時に敵キャラが変わるごとに映像がかわるところにワクワクした。
GTは、大人事情だとは思うがビーイング系の歌手が主題歌を歌っていたが、三期WANDSの錆ついたマシンガンで今を撃ち抜こうが好きになってWANDS熱が高まったし、作詞を手掛けていた小松未歩のファンになった。
でも、ドラゴンボールのコミックは一冊も持ってない。
だから、すごいファンだったというのもおこがましい、それに当たり前のように毎週触れいた作品だけだった、でもとても好きだった作品だったこと、気づかされた。
どこかのお店でコミックが置いてたら、読み返していた。何度読み返したかは覚えていない。
ドラゴンクエストも好きだった。特に3つのメインイラスト、中心に勇者がいてその後ろに戦士や魔法使い、武道家や僧侶などが立っているイラストが好きだった。
発売前のこのイラストのワクワクしたこと今でも覚えている。
とにかく、ドラゴンボールは共通の話題になった。
戦闘力5かゴミめ、、という名言だったり、ドラゴンボールがあったらどういった願いを叶えるか、セルゲームちょっとダルかったよね、とか社会に出ても共通の話題になっていた。
偉大な作品だと思った。
主催している笑っていいとも!スタイルのポッドキャスト平日回帰φ瑠 火曜日担当のアヤコPさんが自分の人生のおおよそが失われてしまったと書いている。
私も、本当にぽっかりと穴が空いたようになった。
まだまだ、作品が生み出される予定だっただけに、とても残念です。
引用いただき恐縮です。
アヨハタさんもぽっかり穴があいたんですね。
あきますよね。
アイディンティティの「ミッドナイト・ダイバーシティ」ラジオ(JFN系列)聞かれましたか?いまタイムフリーで聞けるので、是非聞いて下さい!エリアフリーだと24時〜から聞けます。番組の最後、大いに泣いてしまいました。